良い漫画を読んだ

私の人生に影響を与えた漫画がいくつかある。

例えばへうげもの

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戦国武将 古田重然(ふるたしげなり)が、激動の戦国時代を己の欲の達成という自己実現のために奔走して自分とは何かを見つける話。

 

例えば寄生獣

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生き物を乗っ取って同族を捕食する寄生生物に右手を乗っ取られた高校生が、知性を持った右手『ミギー』と対話し、他の乗っ取られた人間達と戦いながら人間の在り方を考えていく話。

 

例えばマスターキートンとパイナップルアーミー

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リアリストになり切れないロマンチストの考古学者の男と、ロマンチストになり切れないリアリストの元傭兵が、世の中や人生に絶望せず前向きに生きていく話。

 

他にもたくさんあるのですが、自分が世の中を生きていく上での指針となった、あるいは直接的に影響を与えた漫画となると上記ぐらい。

 

で、本題なんですけど、たまたまTwitterで流れてきたこの漫画を読んだんですよ。

『オレが私になるまで』

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小学生の男の子がある日突然性転換する病にかかって女の子として生きることになる話。

 

これは来たわ。

性転換物なんて世の中ごまんとあるし、書籍化していないそれこそネットに公開している数ページの漫画も含めると星の数ほどと言って差し支えないレベルであるけれど、その中で最も心に刺さったのがこれ。

世界観の見せ方が上手い。

性別が変わる病が存在する事が当たり前の社会ではどういう社会福祉があって、世間的にはどういう風に見られて、当の本人や周りはどう思うのかって事をしっかりと段階的に教えてくれる。

特にへうげものは顕著だが、「深く説明はしないが、きちんとそこに描いてある」というのが大好物なので、セリフややり取り、仕草の一つ一つに意味が込められていたり、そこから解釈できるものが見え隠れするともうたまらない。

この漫画はそういった意味では非常に観察し甲斐がある。

線の一本一本をなぞる価値がある。

ただ、絵はそんなに上手い方ではない。

昨今よく見かけるキャラクターばっかり描いて背景が描けない系の漫画家の典型だと思う。

だが、そんな程度ではこの漫画の価値は損なわれる事が無い演出の上手さに心を奪われた。

世間的にウケるかと言われると題材が題材なので難しいかもしれない。

でもそんなことはどうでもいいぐらい自分にはウケた。

まだ佳境にも至っていない状況で褒めちぎるのもどうかと思いますが、単なるエロとギャグに見せかけて緻密なストーリー構成で下手なミステリーよりも面白いと評された監獄学園の1-9巻までの例にもある通り、たとえ途中で失速したり作者のやる気が失墜したとしても、一巻まではとにかく読む価値があると強く主張したい。

 

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監獄学園 プリズンスクール』

全寮制の元女子高が共学化して入ってきた男子5人と、男子を排除せんと暗躍する裏生徒会とが学内に設置された監獄を舞台に熾烈(?)な闘争を繰り広げる話。

 

ゲームのレビューなら怒りや喜びを込めてしょっちゅう書いているが、漫画のレビューをとにかく書きたくなったのは『オレが私になるまで』が初めてなんですが、まーまー書いても書いても書き足りない。

本当は倍ぐらい事細かに書けると思うんですが、今回はひとまずここまで。

作者の佐藤はつき先生には是非とも描き切って欲しい。

カレーライスに凄まじく感動した話

つい2週間程前に問屋さんのイベントに行ってそれなりに色々買った後、何とはなしに小腹が空いてきたぞと身体が表明をし始めたので、丁度いい飯屋はいずこに、と、うろつき始めた矢先に見つけたるはチェーンのカレー屋さん。

そういえば最近外食でカレーを頂く機会が無かった事を思い出し、一番お安いポークカレーを注文し、トッピングに白身フライを付けてもらう。

ほどなくして少し大きめの皿に控えめに盛られたカレーライスが配膳される。

最近はどこもかしこも値上げだ容量減だとやっているからこれもその影響なんだろうな、と世知辛い思いでステンレスのスプーンで白身フライを切り分けて、ルーと共に多少の白米の上に載せて口中へと運ぶ。

 

なんという旨さだろうか。

 

あまりに旨すぎて思わず息も飲んだ。

ある程度の「旨味」は脳も想定して万全の構えで頭をカレーモードにして食べたはずなのだが、驚いた事にこのカレーライスはその上を行ってきた。

『チェーンのカレーに大げさな…』

と言われても仕方がないのだが、生まれて初めてカレーライスを相手に脳が震えた。

今はもう記憶から引き出すことも出来ないのだろうが、おそらく初めてカレーライスを食べた時の衝撃よりも大きなインパクトを受けたのは間違いない。

脳天から足のつま先にかけて、カレーの旨さを感じよ、表現せよ、という歓喜の命令が駆け巡り、心臓ときたらそれはもう飲めや歌えやの大騒ぎである。

眼前のカレーライスにいいようにやられてしまっている状況で、手は止まらず、目は離せず、鼻はカレールーの香りを求め、唾液はフル稼働。

早々に消費される白身フライ、継ぎ足される水。

店、店員、客、テーブル、椅子、外、街、社会、地球、ありとあらゆる認識が薄れていき、残すところ3割程度になった頃にはもうカレーと自分だけの宇宙がそこにはあったと言える程の熱量が上半身に集められた。

口をペーパーナプキンで拭い、コップの水を胃に流し込んですっかり空になった大皿を見下ろす頃には感動はさらなる高次元へと到達し、深い息をした後にふとこう思った。

 

生きてて良かった。

 

そう結論をつけた瞬間に身体が現実世界に帰ってき、周囲を認識出来るようになった。

カレーライスはとにかく旨かった。

あれから時間を置いてもなおあの旨さが鮮烈に、そして強烈に脳裏に焼き付いており、人生辛くなってきた時はまたカレーライスを食べようという答えに行きついた。

私はカレーに救われた。