カレーライスに凄まじく感動した話
つい2週間程前に問屋さんのイベントに行ってそれなりに色々買った後、何とはなしに小腹が空いてきたぞと身体が表明をし始めたので、丁度いい飯屋はいずこに、と、うろつき始めた矢先に見つけたるはチェーンのカレー屋さん。
そういえば最近外食でカレーを頂く機会が無かった事を思い出し、一番お安いポークカレーを注文し、トッピングに白身フライを付けてもらう。
ほどなくして少し大きめの皿に控えめに盛られたカレーライスが配膳される。
最近はどこもかしこも値上げだ容量減だとやっているからこれもその影響なんだろうな、と世知辛い思いでステンレスのスプーンで白身フライを切り分けて、ルーと共に多少の白米の上に載せて口中へと運ぶ。
なんという旨さだろうか。
あまりに旨すぎて思わず息も飲んだ。
ある程度の「旨味」は脳も想定して万全の構えで頭をカレーモードにして食べたはずなのだが、驚いた事にこのカレーライスはその上を行ってきた。
『チェーンのカレーに大げさな…』
と言われても仕方がないのだが、生まれて初めてカレーライスを相手に脳が震えた。
今はもう記憶から引き出すことも出来ないのだろうが、おそらく初めてカレーライスを食べた時の衝撃よりも大きなインパクトを受けたのは間違いない。
脳天から足のつま先にかけて、カレーの旨さを感じよ、表現せよ、という歓喜の命令が駆け巡り、心臓ときたらそれはもう飲めや歌えやの大騒ぎである。
眼前のカレーライスにいいようにやられてしまっている状況で、手は止まらず、目は離せず、鼻はカレールーの香りを求め、唾液はフル稼働。
早々に消費される白身フライ、継ぎ足される水。
店、店員、客、テーブル、椅子、外、街、社会、地球、ありとあらゆる認識が薄れていき、残すところ3割程度になった頃にはもうカレーと自分だけの宇宙がそこにはあったと言える程の熱量が上半身に集められた。
口をペーパーナプキンで拭い、コップの水を胃に流し込んですっかり空になった大皿を見下ろす頃には感動はさらなる高次元へと到達し、深い息をした後にふとこう思った。
生きてて良かった。
そう結論をつけた瞬間に身体が現実世界に帰ってき、周囲を認識出来るようになった。
カレーライスはとにかく旨かった。
あれから時間を置いてもなおあの旨さが鮮烈に、そして強烈に脳裏に焼き付いており、人生辛くなってきた時はまたカレーライスを食べようという答えに行きついた。
私はカレーに救われた。